建勲神社は、織田信長を御祭神とする神社です。
「タケイサオジンジャ」と読みますが、通称は「けんくんじんじゃ」です。
御祭神は、贈太政大臣正一位 織田信長公です。


本能寺の変の後、豊臣秀吉公が大徳寺で七日の大法要を営み、信長公の霊を慰める為、船岡山に寺を建てようとして、正親町天皇より、天正寺の寺号を賜ったが寺の竣工は中途に終わったものの、以来船岡山は信長公の霊地として大切にされ明治に至りました。

天下を統一した信長の偉勲を称え、明治2年明治天皇が神社創立の宣下を行い、建勲神社の神号を賜われました。
明治8年別格官弊社に列せられ社地を船岡山に賜い社殿を新営、明治13年従三位左近衛中将織田信忠卿を配祀し、明治43年本殿以下諸舎を現在の山上に移建されたものです。

建勲神社境内艮の方に末社義輝稲荷神社、稲荷命婦元宮が鎮座されておられます


山の上にあるだけに眺めも良く、ギャラリーにも書きましたが、建勲神社から船岡山の頂上に行くと、五山の送り火(通称大文字焼き)すべて(左右の大文字、船形、鳥居、妙・法)が見られるとのことです。
昼間だったので、3つ(左右の大文字、船形)しかわかりませんでしたが、夜に火がつくとよくわかると思います。

船岡山は、標高112m、面積二万五千坪の優美な小山であり、その東南に建勲神社境内となります。豊臣秀吉公の頃より上述の通り信長公の霊地として自然が良く残されており、京都盆地特融の樹種が良く保たれています。

今より、千二百年の昔、京都に都が定められる際、陰陽五行思想、風火思想に基づいて、船岡山は龍気みなぎる地形であり、大地の気がほとばしり溢れ出る玄武の小山であると卜せられ船岡山が北の基点となり、この山の真南が大極殿、朱雀大路となっています。建勲神社境内内の船岡妙見社に玄武大神が祀られています。


訪問させて頂いた日は、お天気もよく歩くのにはよかったのですが、日差しがきつかったので、写真に陽光が入り込んだ写真が多くなりましたが、かえって幻想的な感じがしたのでそのまま掲載しました

 
京都幻想☆行雲流水
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